無言でいる事

 今日は少しだけ仕事に行ってもいいかなという気分です。私の性格は美味しいものを食べなくていいから、働きたくない。遊びに行かなくていいから、働きたくない。ゴロゴロしていなくていいから、働きたくない。つまり、働きたくない。

 

 そんな私ですが、11月に結婚をしまして、あと30年以上働かないといけません。常日頃働きたくないと思っている私ですが、その事を結婚してから相手に一日中、言ってしまいました。流石に相手は失望し怒りました。なんとか許しを得ました。条件として、家事をすることも追加されました。最近は一番難しい事を選択する事が目標です。新たに難しいことが追加されました。それは無言でいる事です。嫌味っぽい性格であり、怠惰であり、傲慢な私は、黙っていれば、静かであり、暇なので暇つぶしを探して家事をし、相手の言う事にいちいち反論をすることも少なくなります。無言でいる事が大事だと感じながら、ブログにつらつらと書いているのはいいのか。自分にとって無言というのは、人と自分を比較しないこと。ブログでは特に比較することもなく思ったことをつらつらしてる。他の人が出てくるわけでもなく、人生の目標をどうしようかなとか、働きたくない無い理由は何だろうとかをつらつらしてる。人はなぜか意味を求めると本には書いてありました。ストーリーが欲しい。何でそうなっているのか。つまりどういうことなのか。目的は何。そんなことありえるのか。私も例にもれず、人生の意味を求めています。社会人は何で働かないといけないのか。学生は何故勉強をするのか。法律で勤労の義務があるから。何で勤労の義務があるのか。意味を求める事はただ単に理由を知りたいわけではない。自分に得になる、不利にならない事を再現する方法を模索している。人が意味を知りたい意味はなんだろう。最終的には人個人はしんでしまう。逆にいうと死ぬまでは生きていないといけない。

 

話が発散しすぎてしまいました。取り敢えず、人生を意味の意味を探すために、悩んだら難しい選択をするという方針のもと、無言でいるという事を試してみようと思います。