毎日をシンプルにしていく。

シンプルな生活を送る。やることとやらないことをわける。そうすると時間が余ってしまう。時間が余った時にすることを一つ決めておく。それだけで生活はシンプルになる。今日から時間を潰すためにブログを書くことにする。目的としてはシンプルな生活である。シンプルに生活することは1日で達成することは出来ない。毎日少しずつ無駄を省いたり足りないものを足していく。時と場合によって生活を変えるのは疲れる。無意識に判断出来るようにさせる。雨が降るかどうかは気にしない。必要なものは買ってもいい。雨が降れば傘を買えばいい。必要無くなればコンビニの傘立てに立てればいい。誰か必要な人が使うだろう。1日24時間あって30分だけ御飯を食べる。文章を書くのは難しい。5時間だけ睡眠を取り、30分で身の回りと体をきれいにする。残りの18時間をブログを書くとする。シンプルな生活である。朝起きて、ブログを書き始めて18時間経過したらごはんを食べてシャワーを浴びて、身だしなみを整えて寝る。次の日も同じ繰り返しをする。とてもシンプルな生活である。仕事をリタイアしたらこういう生活ができる。問題は目が悪くなってしまう可能性が存在すること。誰かに代筆を頼んで、自分はノートに18時間毎日書けばいいかもしれない。ブログの内容は誰かに受けてお金が入ってきたら理想であるが、これは老後の暇つぶしであり他の人は関係ない。ただアクセス数が伸びると嬉しい気持ちになるのは事実として認識している。心に浮かぶことを書き続けるとそのうち何も思い浮かばないことが発生するかも。座禅はとてもいい。呼吸をしていることが感じられるからである。人は呼吸するということである。焦ると呼吸が浅くなる。日々の生活で呼吸を意識するとストレスが許容範囲内に収まる。例えば、失敗をしてもまだ息があると安心する。息を止めてしまえば死んでしまう。生きることは息ること。どんな息をしているかでどんな生き方をしているのか感じることができる。物事に集中すると息していることを忘れてしまう。社会人になってなろう小説を読むようになった。すごい面白いしボリュームもある。たくさんのジャンルがある。最後まで書いているのもあればいないのもある。時間を潰すには最高だと思っていたが最新話まで追いつくと、更新されたかどうか気になって1日になんどもページを確認する。そこは、作者の都合もあり、更新出来ないことやボリュームが少ないなど期待通りにいかない。他人に期待をしても自分の期待通りにいかない。それはりんごが木から落ちるのを見ている事と同じである。りんごは物理法則の万有引力によって地球に引っ張られている。枝にぶら下がっている時も引っ張られているが、枝によって支えられているのでりんごが落ちることはない。枝から離れた途端、支えがなくなり、落ちていくのだ。他人に期待をしても意味がないとはこういうことである。他人はその人のマイルールに従って行動している。それを見ていても、自分に都合がいい時もあれば、邪魔となることもある。基本は他の人は気にしない。ただし支えれる場合は支えてもいいのかな。キリスト教の教えでは隣人を愛する。自分も隣人から見れば隣人である。自分も隣人も愛すればいい。考えが止まる時、心の中に矛盾が生じている。本心では他人なんて関係ないと思いながら、倫理的に他人を愛するべきだと書いている。自分の考えを貫いてみてある時に気付く。あの人が言ってたことはこういうことだったのかと。その時にこう言われたから、はいそうですか。その通りですね。といったところで納得はできていないししなくていい。その矛盾を考えることが個性につながる。自分は普通だと思う人もいるがみんな感じ方は違う。自分のことも制御出来ないのに他人を制御出来るのか。私はハーバードに行って、会社を作ってなんて出来ていない。そんな必要は無かったのかもしれない。